■ ステートメント(2015年)

着地について、それが私の興味をもってきたことです。
人間はだれしも一回目の着地の経験をもっています。それは生まれて来たときのことであり、そのとき私たちには選択の余地はなく、落下してきただけです。私の制作は、再着地、つまり落下を受け入れ、自らの足で立ち、生きることを肯定するためのレッスンだと言えます。
そのために私は土地、そして人間の身体を観察し、作品のモチーフとしています。
着地する土地はどんな場所なのか。地面だけでなく、水面、テーブル、ベッド、手のひらなど、水平を見出せる大小のスケールにかかわらず観察します。土や水といった素材を用いたり、痕跡や起伏、そこに落下する果実や影、雨などをピックアップして、インスタレーション作品に引用したりします。時にそこに横たわる歴史や物語についてリサーチし、展示空間に反映させたりします。そのような水平的な広がりに対して、人間の身体はどのような営みをしているか、その個別の例も見ていきます。重力によってつねに身体は土地に落下しつづけていますが、私たちは単にその力に従っているわけではなく、その力を可能性に変えて生きています。歩くことに靴や杖が使われ、渡ることに船が使われ、食べることに食器が使われ、眠ることに寝具が使われ、悼むために花や墓石が使われる、などのように、道具は、その営みをについて考えるための注目すべきポイントです。そういった道具を撮影し、個人的な記憶に耳を傾ける旅にでたり、実際に集めたりします。

■ 制作について(2011年)

獲得と喪失を繰り返し、最後に残る固形物を見ることは、
消えない身体をこの世界に着地させることである。

Repeating acquisition and loss, watching a solid remains behind.
Make permanent body land on the world.

■ 未踏の土地へ(2010年個展に寄せて)

ここしばらく大きなインスタレーション作品には、頻繁に水を使ってきた。
それより以前は水を使わずに、水の造形を別の素材で追っていた。
水が、これほどまで私をとらえて離さないのは、
水のもつ絶対的な「水平さ」ゆえにほかならない。

絵画から美術の道に足を踏み入れた私は、
すぐに「与えられた白いキャンパス」を前に呆然としてしまった。
世の中にはすでに多くの絵があったし、今日も生み出されている。
いったい、今更ここに描かれることが許されるほど価値あるものはなんなのだ、と。
描かれることを許されるものを探す道は
この世界への、ひとやものの在り方を問う道につながっていた。

「在ること」には、重力とそれを受け止める地面がかかわっている。
確かなたいらさがあれば、ひとは落下しながら立っていられる。
その確かなたいらさといえるもの、それを私は水面に見てきた。

「土地 / 湿原の杖に依って」というシリーズが昨年末から始まった。
これまで使っていた量とは比べ物にならないくらい少ない水を使って。
しかし水が減り陸地が現れてきたことで、
私はその土地に踏み込んで、その豊かな起伏を知ることが可能になった。

絶対的であるからこそ、触れがたい水面ではなく、
絶対的ではなくとも、ぬかるんでいるとしても、確かに足を踏み入れられる土地へ。

/2010年個展「未踏の土地へ」に寄せて