喉を行き来するもの(世界人権宣言をテキストとして)

制作: 2018年
展覧会: 共同体のジレンマ/旧門谷小学校(愛知)

素材: 声、ぶどうジュースの入ったグラス、テキスト(Universal Declaration of the Human Rights: UNITED NATIONS/和文:外務省)、ガラス、椅子

第二次世界大戦が終わり、1948年に世界人権宣言*が採択された。
その時、生き残っていた全てのひとたちは、その宣言が呼びかける共同体に含まれた。その後、生まれてくるすべてのひとは、時に、名付けられるよりも早く、その共同体に含まれていく。
「All human being」から始まる全30条の中で、「everyone」は何度も繰り返される。格式高く面白みはないその宣言は、その執拗さや厳格さが網の目をつくる。そこをすり抜けて、ふたたび悲劇が繰り返されないように、その網の目から誰かが落ちてしまわないように、本当にすべてのひとを「包括」することを目指し、「everyone」を重ねる。

ひとが声を発するとき、その声のままを絶対に聞けないのは自分自身であり、なにかを飲み込むときにも、それを自分は見届けることもできない。 そうした把握の空白が身体には多くある。

「everyone」がかつて一度も達成されたことがないことを知っている。それは、机上のものである、言葉だけのものであるとも言えるだろう。しかし、どんな言葉でもそれが喉を通るとき、その空白部分から、投げられる網があることについて、考えてみたいと思う。

*世界人権宣言
第二次大戦後、人類史上初めて全世界すべての人々の人権を守ることを公的に目指し、1948年の12月、国連総会で採択された宣言。
人権侵害を各国の国内問題として放置することが虐殺や戦争につながったという反省から、人権委員会で議論が重ねられ、起草された。
この宣言には法的強制力はないが、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の規準として」多くの条約や各国の憲法などに、その精神が生かされることになる。
日本は、主権を回復したサンフランシスコ講和条約締結の際に、その前文で、世界人権宣言の実現に向けた努力を宣言している。